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永遠のヒーロー

2007年12月24日
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 一昨日、去る12月22日は私のヒーローであるジャック・マイヨールの命日でした。ジャック・マイヨールは素潜りで水深100mに達したファーストマンであり、自他ともに認めるホモ・デルフィナス(イルカ人間)です。この週末はとても肌寒く、天候も荒れ気味だったのですが、ようやく今日になって晴れわたりました。雲ひとつない空は高く、見わたすかぎり海も青いです。今日ばかりは亡きジャック・マイヨールをしのび、また想いをはせながら泳ぐことにしましょう。
 私がジャック・マイヨールのことを知るようになったきっかけは、誰でもそうであろうと思われますが、かの有名な映画『グラン・ブルー』です。「イルカと泳ぐ」という夢のような体験へのモチベーションをもたせてくれたという意味で、私にとって『グラン・ブルー』はやはり特別な映画だったと思います。おりしも国内で高まっていたイルカ・ブームとも重なって、私はイルカと泳ぐことに夢中になり、御蔵島や小笠原といったドルフィン・サイトにかようことになります。しかし不思議なことに、『グラン・ブルー』のモチーフであるフリーダイビングという競技や、映画のなかに描かれたジャック・マイヨールの人物像にはあまり関心がなかったのです。その理由を自分なりに考えてもみましたが、機械にたよって素潜りをする仰々しさに、またウエットスーツを身につけて素潜りをするその姿に違和感をいだいていたのかも知れません。

 そんな私がジャック・マイヨールに強く惹かれるようになったのは、あるテレビ・コマーシャルの映像がきっかけでした。そこに映しだされたのは2頭のイルカに寄りそい、背びれにつかまって海のなかを縦横無尽に泳ぐ老人の姿でした。実在の人物と知ってはいましたが、その老人こそジャック・マイヨールその人だったのです。肌をさらして海に身をゆだねるかのように泳ぐ姿に得もいわれぬ衝撃をおぼえ、文句なしにあこがれました。それと同時に、重くのしかかる水圧に波うつ皮膚や筋肉など、大深度という環境におかれた人間の姿がじつに神々しく恐くもありました。1分たらずの映像でしたが、自分の理解のはるかにおよばない世界をのぞき見たようで、なにかやっとのことで探しものを見つけたような気がしました。

 以来、私はジャック・マイヨールにあこがれ、強く惹かれ続けて現在にいたります。写真や映像を見ては道具や泳ぎのスタイルを真似してみたり、エッセイのなかに書かれているトレーニングを実践してみたり、その時々には大真面目でやっていたのでしょうが、今思えば笑ってしまうようなこともよくやりました。なかでも精神論とでも言いましょうか、彼のスピリチュアルな面にはとくに強く惹かれるものがありました。なぜ強く惹かれたのか理由を考えると、きっと私には人間のスピリチュアルな面への理解がもっとも欠けていたのではないでしょうか。以前は分からなかったこと(分かったような気にはなっていましたが)が次第に分かるようになるにつれ、ジャック・マイヨールに少しでも近づけたような気がして、ただそれだけでうれしかったものです。

 ジャック・マイヨールはイルカや海を愛するのと同じく、私たちの惑星であるこの地球をこよなく愛していました。あるドキュメンタリー映画のインタビューの中で彼は、地球環境が壊れつつある現状に対して「決して楽観的にはなれないが、まだ人間がすべきことは多い」と希望を口にしていました。ジャック・マイヨールがこの世を去る5ヶ月前に、私は東京で開かれたあるシンポジウムで彼と会い、彼の生の声を聞く機会に恵まれました。しかし、はじめて会ったジャック・マイヨールの口から出てくる言葉に希望はなく、地球環境は「あとは壊れていくのを待つだけ、すでに手遅れ」と悲観的なものでした。ジャック・マイヨール、享年74歳。今思うと、自らの衰えゆく身体と滅びゆく地球の運命が重なって、私が会った頃には自らの生に絶望していたのかも知れません。

 死にかたひとつをとってみてもそうですが、ジャック・マイヨールには良いにしろ悪いにしろ、さまざまなうわさや憶測がついてまわります。しかし、いったん海に入ってしまえばその格好良さは非のつけどころがなく、私にとって彼は変わることなく永遠のヒーローです。彼がこの世を去ってまる6年が経ちますが、そのあいだに地球環境はさらに悪化し、地球崩壊のXデーまでささやかれるほどになりました。現在、もし彼が生きていたのなら、地球の現状やそれに対する人間の行いをどのように感じ、どのように語るのか聞いてみたいものです。

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